korudon

  「心 の 友」 ー 「子どもの本への()い」ー       

   読書は、知識はもちろんですが、それにもまして何よりも感動をもたらしてくれます。

  『百まいのドレス』(エレナー・エスティス作/石井桃子訳/岩波書店)
   では自分の行動を一つ一つふりかえっては考え続け、疲れ果ててしまったマデラインの
   姿に涙を流し、『ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家』
                    
(クラウス・コードン著・那須田淳・木本栄訳/偕成社)
  では亡命への誘いを一切拒否して戦時下のドイツに住み続けたケストナーの意志の固さに
 敬服し、そして『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』
(堀茂樹訳/白水社)
 
では自分の書いているものへの信念をけっして失うことなく、辛抱強く執拗に書き続けるこ
 とで作家になれたという著者のアゴタ・クリストフの言葉に勇気を与えられます

『風の又三郎』(宮沢賢治著/偕成社)の耕助と又三郎の二人のやりとりに思わず笑
  ってしまう時、今、生きていることの喜びでいっぱいになり、花巻まで飛んでいって
  しまいます。

       


  ≪
子供の本への誘い≫  01               

    本に命を吹き込むブックトークの会「コるドン」
       
※ このページの立ち上げについて
               「コるドン」というのは私(もーやん)が敬愛しているドイツの
                  児童文学作家「クラウス・コルドン」をもじったものです。

                    
      

子供の本への誘い 最初の一冊は!

  

        『第九軍団のワシ』 

(ローズマリ・サトクリフ作 猪熊葉子訳 岩波少年文庫)

    

  

                                  
 イギリスの児童文学の中で好きな本はと問われたら真っ先にローズマリ・サトクリフ

を挙げる。中でもローマン・ブリテン四作、「第九軍団のワシ」「銀の枝」 「ともしび

をかかげて」「辺境のオオカミ」は、どの主人公もその生き方が真っ直ぐ で、深い感動

を覚える。


最初の作品である「第九軍団のワシ」は、紀元
117年ごろエブラークム(現在のヨー

ク)に駐屯していたローマの第九軍団がカレドニア(現在のスコットランド)の氏族を平

定するために北に進軍しその後消息を絶つという歴史的事実を踏まえて作り上げた物語で

ある。 


 消えた第九軍団−ヒスパナ軍団−は四千人以上の兵士の大隊だった。主人公マーカス・

フラビウス・アクイラの父はその大隊長だった。消えて十二年がたち、軍団の象徴である

「ワシ」が北の氏族の神殿で神としてあがめられているという噂が流れていた。それはヒ

スパナ軍団が戦って殲滅されてワシが敵側にわたったことを意味し、北で再び問題が起こ

れば各氏族たちにローマ反抗の火を燃やすシンボルとなる恐れのあることを物語ってい

た。


 二年前、ブリトン人との戦いで右足を負傷し筆頭百人隊長を退いたマーカスは、叔父の

友人の第六軍団の司令官からこの話を聞いて、
真実を探り、失われたワシいうなれば父の

名誉を取り戻すために、出発の命令を願い出る。そして、春の緑の燃える朝、目医者に変

装し、元奴隷だったエスカと共に属州だった北のバレンシアに向かう。
州との境に築かれ

たハドリアヌスの防壁に着いたのは初夏のある朝だった。
その後、夏中バレンシアの地を

さまよい歩き、一ヶ月余りの後、カレドニアのクルーアカーン山懐に住むエピダイ族の村

にたどり着く。その氏族の「新しい槍つかいの祭」の夜、ついに二人は「ワシ」を見る。



 昨年の夏、私はハドリアヌスの防壁に立った。それは地上を這う万里の長城そのものだ

った。まさに防壁そのものであり、北の氏族の脅威の強大さをまざまざと物語っていた。

その脅威に二人は立ち向かい、任務を成し遂げてここに戻ってきたのだ。深い感慨の私の

耳に「開けろ、皇帝の名において!」と北門をたたく二人の凱旋の叫び声が聞こえる。

  

 


 
≪子供の本への誘い≫    02  
  

        本に命を吹き込むブックトークの会  コ る ド ン



星の王子さま

(サン=テグジュペリ作 内藤
濯訳 岩波少年文庫)

                             

 聖書』『資本論」と肩を並べる国際的なベストセラーであるサン=テグジュペリ

の『Le Petit Prince』。日本では岩波少年文庫の内藤濯訳『星の王子さま』として

おなじみの作品である。この『星の王子さま』の著作権の保護期間が消滅したのは

2005年。新訳が続々と登場してその数は十数冊にのぼった。
さて、岩波少年文庫は

1953年3月初版発行。2000年6月改訂新版を発行した。ともに内藤濯訳であるが面

白い違いが一つある。それは王子さまの見た夕日の回数である。初版では「ぼく、い

つか、日の入りを43度も見たっけ」とあるが、新版では「44度も見たっけ」となっ

ている。「43度」から「44度」への変換、それにはどういう意味があるのだろう。

そしてその数はどんな意味をもっているのだろうか。


 サン=テグジュペリは1900年6月29日生まれ。コルシカ島からフランス上空への

偵察に出撃し消息をたったのは1944年7月31日。『星の王子さま』はその前年の

1943年4月にアメリカの出版社から発行された。つまり、サン=テグジュペリの

43回目の誕生日がめぐってくる年の出版だったのである。翌年出撃し消息を絶った

わけだが、彼が生前目にしたのはこの初版本のみと言われ、初版本は「43度」だっ

た。


 一方、新版で「44度」と変わったのは、10章の王さまとの会話の中の王子さまの

言葉の「同じ一日のうちに、入日を44度どころか、72度でも、百度でも・・・・」

という「44度」に統一したからである。加えて、44歳でサンテグジュペリは消息を

絶つ。なんとも意味ありげな数字となったといえる。ちなみに新訳本は全て「44

度」である。


 「43度」であれ「44度」であれ王子さまの深い孤独を表す数であることに変わり

はない。しかし私は、サン=テグジュペリが生前に見た初版本の「43度」にこだわ

り続けたい。

 


   「百まいのきもの
         

                (エレナー・エスティン作 石井桃子訳 ルイス・スロボドキン絵 岩波書店)

  

                

  児童文学者石井桃子氏が101歳でこの世を去ったの

 は昨年の
42日である。初めての訳本の「クマのプ

 ーさん」の作者ミルンの伝記を
96歳で刊行し、その

 後「百まいのきもの」の全面改訂に手をつける。


 100
歳を目前にした2006年、実に50余年ぶりの改

 訂は「百まいのドレス」という新しいタイトルと逆に

 なった挿絵で刊行となった。


  私が「百まいのきもの」を読んだのは初刊から
40

 年後、今から
16年ほど前の19941223
日であ

 る。以来、オススメの一冊となったが、登場人物の中で最も心を惹かれたのはワン

 ダ・ペトロンスキーだった。だれも友だちがいなくて、ひとりで学校へ来て、ひとり

 で帰っていく。いつもひとりぼっちで校庭に立っている。そして、学校に着てくるき

 ものは青いきものがたった一枚だけなのに、戸だなの中に百まいきものを持っている

 と言い、くつは六十足持っていると答えるので、子ども達からからかわれる。
 


  ある日、ワンダは学校に来なくなる。ところが図画のコンクールで一等賞をとった

 のはワンダの「目もさめるような色どりの、思い切った素晴らしいスタイルの」百ま

 いほどのきものの絵だった。ワンダは転校していたのだったが、ワンダから届いた手

 紙にはコンクールの絵のきものを同級生にあげること、特にマディーには青いのをペ

 ギーにはみどりのきものと、それぞれに似合いのきものを指定していた。


  16
年前に私の心を打ったのはワンダからのこの手紙だった。しかし、今回改訂さ

 れた「百まいのドレス」を読み直してみると、マンディーことマデラインの自分を責

 めるその心の重さだった。からかわれるワンダを、何にもいわずに、そばで黙って見

 ていたと自分を責めるマデライン。両手で額をかかえてじっと考え込み、疲れ果てて

 眠りにおちるマデライン。「マデライン、しかたなかったのよ」と、私は泣きながら

 彼女を慰め励まし続けていた


                        
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